あの大災害からもう4年、3月11日は仕事が終わってから地域社会貢献活動と
災害を忘れない為にと、地域清掃を計画してみた

 物凄い大雪だ(汗 この雪が災害の時だったら凄いヤバかったかなぁ。っと計画を
変更して店舗側の高齢者住宅の雪かきに変更する

 乙さん(ん〜きてくるかな)

 勤務時間外なんで、参加は当然自由。乙さん一人で道具揃えている、これは
星君のクリスマスパーティになってしまうかもだけど、まぁ1人でもやるかの

 意外や意外にもかなりの人が来てくれた

 4年前を振り返る

 ・・・東北の某店舗 営業中

 その日の14時40分、パチンコ屋が昼でもっとも忙しい時間帯に大きな揺れが
おきた。地震は今まであったのだが、この揺れ方は異常である。すぐに自動ドア
の電源をとめて開放する。お客様は慌てて外に出ようとするので誘導するよう指示
がでた

 電気はストップ、店内の非常灯が点灯。お客様は立体駐車場に移動してもらう

 幸い怪我人は出なかったようだが、外は大参事である。太平洋側ではないので
津波の心配はなかったのだが

 店内は散らばった出玉と、非常灯で暗く照らされた静まり返った台。お客様が
店内に戻ってくると「帰る!」「出玉はどうするんだ!」と大混乱

 さて、災害時の出玉補償はルール上は行いません。っが、行わないと遊戯約款(遊戯約束)
に書いてはいるもののそうはいかないであろう

 台番とおおよその出玉を計算(目視計算)した紙を渡して順番に渡していく

 お客様「早くして!家族が心配なの!」

 それは私も一緒なのだが、お客様の為に順番にやっている事を理解してもらい
ながらも日が暮れている

 PM5時 日が暮れてきたので、外の光があたる側の出玉計算を後回しにする

 PM6時 全てのお客様に帰って頂く

 PM7時 電気が復旧せず、水道、ガス全てストップしているので帰宅しても寒い。
店舗に戻って備蓄灯油を使って、灯油ストーブをつける。従業員がいっぱい店舗
にきていた

 皆がそれぞれ物資を持ってきてくれてたので、私も一度家に帰って冷蔵庫開ける

 ・・・ビールしかない

 倉庫に1年分の煙草買っといたので(増税前に)それを店舗にもっていく

 翌日

 ライフライン復旧せず、信号が点いていないのを始めてみた。当然警察もいないし
交差点はドライバーのモラルによって行き来していた

 店内の賞品の食べ物、灯油は全て従業員に配る事にする、さて問題は電気がない
から営業が出来ない。というか、営業なんて出来る訳がない!

 乙さん「あの〜・・・」

 若い人「あ、やっぱ営業しませんか」

 乙さん「・・はい」

 朝イチで並んでいた人に説明する、う〜ん・・

 パチンコ屋はともかく、全ての小売店も営業していない。ライフラインが無いというの
は人生初であった為に、自宅の備蓄など何もない

 それは従業員も皆一緒で、それぞれが必要物資を店舗に持ち寄って分け合ったり
店舗の賞品を皆に配ったりして凌いだ

 数日後

 電気が復旧したので、台の状態を確認する。出玉の補償には台の状態も含まれて
いるのだ

 乙さん「AT残り200Gか・・」

 一つ一つ、台の状態を確認しながら予想出玉を計算してメモしていく。骨の折れる
作業である

 お客様に渡した紙を後日持ってきて頂き、カウンター前での清算となる。その時に
台の状態によって、出玉を上乗せするイメージではあったが

 正直確変中の台とか、AT機とかどのくらいそこから出るのは未定である。平均出玉
で納得して頂くしかないであろう。これは私の台調べの裁量によるもの

 乙さん(こんな時にプロやっていた頃の知識が生かせるとはなぁ)

 人生わからないものである。津波があった店舗はもっと悲惨であったようだ

 ・・数日後

 営業再開である、震災後という事もあって混乱が予想されたが初日はスムーズで
何事も起こらなかった。ただ、この後の震災後半年は稼動が凄い上昇した

 「家族や職を失ってやることがなく、パチンコ屋にきてしまう」
 「国や電力会社からの支援金などを、パチンコで使ってしまう」

 複雑な気分のまま、自分がやる仕事となすべきことを行ってきた。時には年配者
の相談などものってきた

 そして今の4年後がある。東北人としてあの大災害は忘れずにいたいと思う。
今記憶が薄れかけてきた中、計画した地域貢献活動は無事終わってくれた